戦士と語る Vol 17

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
Text By 新田 渉世
Photo By 山口 裕朗
元日本フライ級チャンピオン 渡久地隆人

 南の島から来た小さな野獣―
 普段はおとなしいが、目だけはギラギラとした眼光を放っている。
獲物に襲いかかるその瞬間、野生の血が全身にみなぎり、恐るべきパワーと瞬発力で獲物の“思い”を打ち砕く。

 ピューマ―その野獣は今、数々の激闘で受けたキズを抱えたまま、静かにもうひとつの道を歩き出そうとしている・・・。都会の片隅で見た、少しだけ優しい目をした野獣は、あの頃とは別のキラキラとしたまぶしい光を放っていた。

 よっしゃー! 今月もカッコよくきまったぜっ。

 “スポーツライターしょーちゃん”が、ずっと語り合ってみたかった男のひとりがこのピューマ渡久地(本名=渡久地 隆人)さん。しょーちゃんと新人王トーナメント同期で、現役としてほぼ同時代を生きた“戦士”としてはもちろん、野性的、攻撃的なボクシングスタイルには、何とも言えない魅力がありました。


 渡久地さんと共に、先月号の“戦士”高橋孝治さんも同行してもらうことになり、夏の終わりが近づくある夜、最近開通された大江戸線の赤羽橋駅で待ち合わせることになりました。

 この新設路線はのりかえが非常に複雑で、しょーちゃん、フォトグラファー山口は15分遅刻。おまけに地下鉄なので携帯電話も使えず、連絡不可。
野獣は気分を害し、初っぱなから印象を悪くしてしまうなと、ややブルーな気分での対面となってしまいました。
ところがどっこい、野獣の第一声は、

「いやあ、新田さん! わざわざ有難うございます。そういえば池田ジム(渡久地氏が一時所属していたジム)でお会いして以来っすねえ! あれ、何年前でしたっけ?」

勝手に抱いていた渡久地像とはまったく違った、人なつっこい、礼儀正しい、爽やかな青年がそこにはいました。
そして傍らには渡久地 流雄(るお)君=今年1月に生れた、渡久地ファミリー初の男の子と聡美(さとみ)夫人も一緒というアットホームなお出迎えを受けたのでした。

「待望の男の子で嬉しいやろお?」

 沖縄甲南高校ボクシング部時代からの親友高橋孝治さんが、ニコニコしながら聞くと、

「ヘヘッ」

 とテレ笑いの渡久地氏。流雄君の上には7歳の梨以(りい)ちゃん、2歳の旺羅(おうら)ちゃんというふたりのお姉ちゃんがいます。(ん〜、みんな凝った名前ですねえ)。

 故・池田ジム会長(当時ビクトリージムマネージャー)にスカウトされ、ピューマ渡久地のリングネームでビクトリージムからデビュー。その後池田会長が立ち上げた池田ジム、十番TYジム、協栄ジムとボクシング界を渡り歩き、キャリア後半は渡久地隆人という本名で戦った波乱万丈のボクシング人生。実は“ピューマ”というリングネームはあまり気に入っていなかったとの事。はじめから本名でやりたかったそうで
す。
今日だけは“ピューマ君”と呼ばせてください。(ゴメンナサイ)

渡久地氏が正式に引退したのは2000年10月ですが、ラストファイト=1999年10月18日から約1年が経過しています。その間のことをいろいろ語ってもらいました。

「最後の試合の後、2ヶ月位した頃、渡嘉敷さん(トカちゃん)と一緒にお食事をする機会がありまして、十番TYジムのトレーナーの仕事を紹介していただいたんです。これまで受けたダメージの蓄積もあるし、体のことを随分心配してくれたんです。」

 そして翌2000年1月から約1年半の間、十番TYジムを実質的にまかされる形で、トレーナーとしての日々が続いたのでした。ボクシング関係者から入ってくる渡久地トレーナーの評判はとても良く、練習生達の信望も熱いという噂です。

「あ、そうっすか。いやあ聞いた事なかったなあ。」

と、またまたテレ笑いのピューマ君でした。

今年の6月まで十番TYジムでトレーナーを勤め、今は自分のジムオープンに向けて準備に奔走する毎日。

「9月末にはオープンする予定なんすよ。」
(後日、オープンパーティの招待状をいただき、図々しくお邪魔させていただくつもりです。)

聡美さんと二人三脚のジム運営に向けて頑張っているピューマ君は、とてもいい顔をしていました。十番TYジムのトレーナー時代にも、ふたりでジムの広告を配って歩き、練習生を全部で200人まで増やしたとのこと。ひとつ年上の姉さん女房はとてもしっかりしていて、キレイで気質がよくて・・・

「ホント、こいつがいないとダメッすね。」

現役時代から今に至るまで、渡久地氏を影に日向に支えてきた聡美さんとは、平成5年に結婚。それまでほとんどボクシングには興味がなかったという聡美さんも、いまではダンナより何でも知っているといったボクシング通。

「新田さんの奥さん−千春さんも年上なんですよね。試合の時の応援はすごかったですよねえ。」

 何歳年上で、どんな人で、子供が何人で、あの試合はあーでこーでとしょーちゃんのことも何でも知っていてくれて、反対にいろいろインタビューされてしまいました。とにかく“外で戦う男とそれを支える女”という絵に描いたような構図のふたりです。

「何か、いいっすね・・・」

 フォトグラファ山口がボソッと口を開きました。―がんばれ山口・・・

 渡久地氏とはずっと仲の良い高橋孝治氏が、野獣のエピソードをひとつ紹介してくれました。

 ある試合で渡久地氏が月間MVP賞を受賞した時のこと−

「オレと渡久地で上野へ行ってパアッとお祝いをしたんですよ。そしたら渡久地が15〜16人のチンピラに因縁をつけられて大乱闘になっちゃったんです。相手は渡久地ひとりをどうする事も出来ず、かけつけた警官も5人がかりでようやく取り押さえたという始末。こんな小さい体ですごいパワーなんですよ。」

 本人は、この時の事を興奮してほとんど覚えていないが、高橋氏曰く、ただの一発もパンチを出さなかったとの事ですから、恐るべしピューマ君です。そんな渡久地氏も、甲南高校ボクシング部キャプテンだった高橋氏を“自分のオトーサンみたいな存在”というから、不思議な関係の2人です。

現役時代、経済的には決して楽ではなかったと聡美さんが語ってくれました。

「それでもいつも誰かがHELPしてくれたんです。特に協栄ジムの先代−金平会長は、中途契約の選手にもかかわらず、現役時代はもちろん、引退後のことまで考えて金銭的、精神的なサポートをしてくれたんです。ホントに感謝してます。」

 しょーちゃんは渡久地氏の才能はもちろん、ふたりのその人柄が周囲の人の心を動かしたのだと思います。ピューマという野獣のギラギラとした光に隠されていた、人なつっこい、礼儀正しい、爽やかな青年に周囲の人の心は動いたのでしょう。

「今度ご家族でウチに遊びに来てくださいよ!」

 満面の笑みでそう言ってくれたピューマ君夫婦を、陰ながら応援したくなってきた夜でした。





P.S ピューマ渡久地ボクシングジム 開設案内です。
   
東京都港区東麻布1−25−3 富田ビル2F
   TEL 03−3583−6007(9/25より開通)
   
*大江戸線赤羽橋駅赤羽橋口出口徒歩2分
*三田線芝公園駅徒歩6分
*都営バス渋谷・目黒・五反田から新橋駅行き 
 赤羽橋駅前バス停目の前



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