世界を獲れなかったのはホントに悔しいし残念だけど、そこに向かって生きた時間は、僕にとってかけがえのない宝物―そんな風に語る彼の目は、その瞬間、人生の王者の輝きを放った・・・
どもっ!! 夏にむけて頭をすっきり丸めたしょーちゃんです。
別に浮気がばれて奥さんに怒られた訳ではないんですけど、こんなボクでもいろいろありまして・・・皆さんも、人生山あり谷ありと大変でしょうが、「戦士と語る」でも見て元気出して頑張ってくださいよ!!
今回は川島郭志さん(元WBC世界J・バンタム級チャンピオン、川島ボクシングジム会長)の紹介により、元・東洋太平洋フェザー級チャンピオンで、現在大橋スポーツジムチーフトレーナーを務めている松本好二さんと語りました。
・・・ホントいやらしい男、アタシの嫌いなタイプなのよね。まあ、聞いてちょうだい。
1969年9月横浜生まれの横浜育ち。今度32歳になるこの人は、ボクシングの名門横浜高校出身。‘89年から‘98年までの9年間でプロとして33戦、その内日本タイトルを13戦、東洋太平洋タイトルを1戦、世界タイトルを3戦くぐり抜けてきた、まさしく“戦士”なのです。
でもね、本質的にはどっちかというとお調子もんで、苦しいこと嫌いってタイプだったみたい。
中学野球部時代、グランド20周のランニングの時は体育館の裏に隠れて、ラスト1周だけ何食わぬ顔で合流しているんですって。そんな天真爛漫?な松本氏は、お父さんや、師匠の米倉会長そして大橋会長の影響もあり、本物の“戦士”へと脱皮していったのですね。
あまり知られていない様ですけど、この人のお父さんもボクサーだったそうです。ウェルター級の東日本新人王だったとの事。ボクシングを始めた当初、その事を知らなかった松本少年は、ある日悪さをしてお父さんに「表へ出ろ」と言われました。体も大きくなっていたし「今日で父親の威厳も終わっちまうんだな・・・」と、余裕こいてた次の瞬間―左フック一発で吹っ飛ばされていたのでした。少年は父親と、そしてボクシングというものを見直し、打ち込み方がちょっとだけ変わってきたのでした。
「僕はインターハイも優勝出来なかったし、プロでは日本チャンピオンになる事が夢でした。世界なんて全然頭になかったんですよ。」
顔と全然似合わず(ズケズケとすみません)、基本的に謙虚過ぎるのよね。それだけ身近にすごい人(大橋秀行)がいたって事なのね。
今はコーチという立場で、いきいきとした毎日を送っているようです。試合が決まる前、普段の練習は目一杯やる。試合が決まったら調整重視でオーバーワークに気を付ける。師匠米倉会長の方針を踏襲した指導法は徹底している。「現役当時、その厳しさに反発して“このクソ親父”と思った事もあったけど、今では米倉会長に感謝しています。」更に―「選手の人格を尊重しながら、コミュニケーションを重視した指導をしています。時には自らグラブをはめ、体でぶつかって指導することもありますね。」
将来の夢はこの大橋ジムからチャンピオンを生み出す事。「大橋会長は文句も言わず、僕にまかせてくれています。なんとか結果で答えたいと思ってるんです。」自分でジムを開く事は、今のところ考えていないそうです。「僕は経営者タイプじゃありませんから・・・。それに大橋会長が、いい待遇で面倒みてくださるので生活の心配もありませんし。」
引退翌年、10年間お付き合いした彼女と結婚し、現在1歳11ヶ月のジュニアと3人暮らし。奥さんは朝日生命所属の元体操選手で、今も同社に勤務する働くお母さん。そういう訳で“戦士”は朝7時半の犬の散歩の後、ジュニアのおむつと着替えをすませて保育園へ送り届けます。午前中は家事に追われる“主夫”を務め、午後から“戦士”に変身するのです。
「かつてウルトラマン(3分しかスタミナがもたない)と呼ばれた僕が、米倉会長や、大橋さんのおかげで世界タイトルに3度も挑戦出来、引退後もこうして充実した毎日を送っています。自分が世界チャンピオンになることが、恩返しと思って頑張りましたけど、これからは米倉会長の指導法で、大橋ジムから世界チャンピオンを生み出す事が目標ですね。」
どう?ホントいやらしい男でしょ。
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