戦士と語る Vol 12

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
新田 渉世

Photo By 山口裕朗
大橋ジム 大橋秀行会長


春です。「戦士と語る」もおかげ様で12回目、丸一年を迎える事が出来ました。“しょーちゃん”として一年間いろいろな“戦士”達と語り合うことが出来、いろいろな刺激を受け、ボクシングに対する思いも以前とは少し変わってきたような気がし
ます。
 10年間のプロ生活で心身に受けたダメージが、少しずつ癒えてきたような気がします。それはきっと自分以外の“戦士”達の心の内側―喜び、痛み、迷いなどに直に触れることによって、ボクシングへの愛情が回復?してきたということだと思います。



 というわけで12人目の“戦士”は元WBA・WBC世界ミニマム級(当時ストロー級)チャンピオン、150年にひとりの天才と言われた大橋スポーツジム会長の大橋秀行さんです。
 現役時代、何度かスパーリングパートナーを務めさせてもらいましたが、不思議なムードを持った人という印象でした。

しょーちゃんと何かと縁深い(勝手にこちらで思ってるだけですけど)大橋さんと、じっくり語れた2時間はとても楽しかったです。
 縁深いというのは、大橋さんが7RKO勝ちで初めて世界奪取に成功した(当時日本ボクシング界は世界戦22連敗中。日本中が歓喜した一戦。)1990年2月7日はうちの長男の誕生日だったのです!―どうですか?縁深いでしょう。
 どこかでそれを聞いて覚えてくれていた大橋さんは、会う度にその話をしてくれる優しいお兄さんなのです。(でもちょっとお肉が・・・)

兄さん(勝手にそう呼ばせてもらいます)といろいろな話をしました。

 まずボクサーの社会的地位、社会的評価について・・・。

(兄さん)「世界チャンピオンになって初めて一人前として扱われたよね。自分を取巻く世界がガラッとかわった。」

―壁には世界チャンピオンとして海部首相(当時)と握手している兄さんの写真が飾ってありました。

(しょー)「1960年代から1970年代にかけてのボクシング黄金時代には、日本チャンピオン、東洋チャンピオンでも家を建て、車を買い一般人よりもいい暮らしをしていましたよね。」

(兄さん)「昔はフライ級からミドル級までの6階級しかなく、チャンピオンの価値も高かった。それだけいいカードも多かったしね。」


(しょー)「なるほど!」

―こんな簡単なことに今まで気付かずにいたしょーちゃん。世間の、ボクサーに対する評価の低さに憤りを感じていましたが、妙に納得してしまったのでした。

スランプ脱出方について・・・。

(兄さん)「スランプはなかったなあ。基本的にプラス思考だからさあ、今考えるとあれはスランプだったのかも知れないってのはあるけど、やってる時は感じた事ないなあ。」

(しょー)「でも人間いつもいつも強くいられるとは限らないし、落ち込む時だってあると思うんですけどね。」

(兄さん)「そりゃ落ち込む時もあるけど、もともと基本的にプラス思考なんだろうね。」

―これは一種の才能なのでしょう。新田選手は、このプラス思考を身につける為に“私はプラス思考です”と紙に書いて部屋中ベタベタ貼りまくったり、様々な工夫を凝らして自分をコントロールしたもんです・・・

(しょー)「何か心の支えになっているようなものがあるんですか。座禅組んだりとか。」

(兄さん)「しない、しない。ただ試合1ヶ月位前から、“明日が試合”という緊張感をイメージして眠るようにしてたね。そうすると本番で結構落ち着けるんだ。」

(しょー)「リングネームとかには興味なかったんですか。」

―新田渉世はキャリア中盤、スランプのため約1年間休業し、カムバックした際に渉世(しょうせい)から勝世(同じくしょうせい)に改名しています。勝つようにって・・・

(兄さん)「ヨネクラジムの連中は結構名前を変えて成功してるんだよね。会長の知り合いの姓名判断士につけてもらうんだ。オレの名前も見てもらったんだけど、そのままでOKらしいんだ。」

―淡々と語るその姿は、現役当時のリングの上で戦う姿に似ていました。ただ少し違うのは、戦士の眼光は影を潜め、優しさを帯びた兄さんの眼差し、それからちょっとお肉が・・・。

引退後の人生について・・・

(兄さん)「引退後1年間は何もしなかった。でもボクシングには携わっていきたいと思ってた。5歳上の兄貴(元日本バンタム級ランカー)の影響で小学生の時からグラブを握ってたんだ。人生の半分以上がボクシングなんだよね。ボクシングがあって自分がいるみたいな、自分の一部みたいなそんな存在だからね・・・。」

―12歳の時「明日のジョー」を見てボクサーになると決意した新田少年も、人生の半分以上がボクシングでした。兄さんの言葉のひとつひとつを食い入るように聞いていました。


(しょー)「引退後、違う世界へ進む気はまったく無かったんですか。」

(兄さん)「現役時代から不動産業に興味があったから勉強はしていた。今は(株)フェニックスっていう会社を運営して家・土地の建売り業と、その会社の一事業としてジム経営をやってるんだ。」

(しょー)「えっ?ジムの経営難で、不動産屋の仕事を手伝ってたんじゃなかったんですかっ。スンマセン、勘違いしてましたっ。」

―ひっじょーに驚いたのと同時にとても嬉しい気分でした。だって元世界チャンピオンですからね。株式会社設立に必要な費用も現役中に稼いだお金で賄ったそうです。

(しょー)「でもちょうどバブルがはじけて、厳しい中での出発ですよね。」

(兄さん)「だから逆に強いんだ。一番悪い時を知ってるからね。バブルの甘い汁を吸ってたらもってなかったね。人に恵まれた事も大きい。世界チャンピオンになれたのも、今仕事がうまくいってるのも、みんな周囲の人たちのお陰だよ。」

(しょー)「うーん、昨日テレビでマラソン金メダルの高橋尚子が同じこと言ってました。」


ジムをやっていく中での喜びについて・・・

(兄さん)「選手が勝った時は嬉しいよね。負けた時は悔しいし。でもやっぱり自分の時の方が喜びも悔しさも大きいよね。これは仕方ない。」


カムバックを考えたことは・・・

(兄さん)「一回もない。またやりたくなる日が来るのが怖くて、わざと体を太らせたし、トレーニングも一切やらなかった。でも、結局一回もカムバックしたいとは思わなかった。多分世界のベルトを2つ獲ったし、悔いが無いんじゃないかな。今じゃ恥ずかしい話、人の試合見てると怖いよね。」

―お肉の秘密が今、明らかにされました。

(しょー)「僕は時々、カムバックしようと思ってしまうことがあるんですよ。先月も引退後初めてカミさんに“もう一回やりたい”って言っちゃたんですけど、言ったら何かすっきりして今は全然その気はないです。」


ボクサー経済学・・・

(しょー)「経済的な問題も大きいですよね。僕なんか女房子供抱えてこの歳で貧乏で危険な道を選択するには、相当な情熱と意思と覚悟と辛抱と周囲の理解と(スミマセン読みにくくて)・・・いろいろ必要です。肉体的にはボクサーの平均寿命は延びてますから、あまり関係ないと思いますけど。」

(兄さん)「最近は30代ボクサーが活躍してるもんな。」

(しょー)「大橋さんの後輩の西澤ヨシノリ選手(東洋太平洋S・ミドル級チャンピオン)も妻子持ちですが、経済的には大丈夫なんですか。」

(兄さん)「あいつはずっと正社員で月給もらう仕事しながらやってるから、収入は安定してるんだよ。」

―Vol.2のケビン・パーマー(東洋太平洋ミドル級チャンピオン)も米軍基地の職務とボクシングを両立させているが、ホントに皆大したものです。

(兄さん)「不動産業の仕事柄、結構大金持ちと接する機会が多いけど必ずしも幸せとは言えないと思う。お金がなくても、夫婦で同じ目標に向かって一生懸命生きている時の方がずっと輝いてるんじゃないかな。」

―兄さん、やはり兄さんと呼ばせていただきます。

大橋秀行―元WBA・WBC世界ミニマム級チャンピオン。ありがとうございました。

「ジムやらないの?」って聞いてくれましたね。そのうちやります。

帰りにフォトグラファー(修行中)の山口と横浜の街で一杯やりました。そしてこんなことを言われました。

(山口)「正直言って最近、新田さんの文章あまりおもしろいと思わないんですよ。もっと新田さんでなければ、苦しい減量とトレーニングとパンチの痛みを知っている人間でなければ書けない事ってあるんじゃないんですか!」

山口、オレはいい後輩持った。そうだよな。

久しぶりに1年前のバックナンバーVol.1を読んでみた。“経験者ならではの視点でペンとレンズをふるっていきたい。”って書いてた。もっともっと“しょーちゃん”ならではの角度で攻め込んでいかないとな。

まだまだライター修行中のしょーちゃんを、これからもよろしく!

ちなみに山口は4月20日から2ヶ月ほどタイへ写真を撮りに行きます。2回程「戦士と語る」に参加出来ません。その間誰か写真を撮ってくれる人を探しています。どなたか協力して下さる方がいましたらご連絡下さい。





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